欲求
欲求
*牛丼屋さんの前で悩む弦巻マキ*
弦巻マキ
「う〜ん……行くべきか、行かざるべきか、どっちにしよう……??」
結月ゆかり
「あら、こんな所でどうしたんですかマキさん。お手洗いはあちらですよ」
弦巻マキ
「あっゆかりん! それがね、聞いてよ! いま私すごい悩んでるんだ……今まで入ってみたくてしょうがなかったんだけど、ついに新商品の『ぶた肉ブリュッレ丼』っていうのを見て、もうガマンできなくなっちゃったのーっ! でも、牛丼屋さんなんて入りづらいじゃん??」
結月ゆかり
「おや、意外ですね、マキさんもそういったことを気にするのですか。いちおう、女性ですものね。けれど、我慢は体に毒ですよ……いえ、そんなものでは言い尽くせません。自分の欲求を無視することは、じつは、後でとんでもない事につながりかねないんです」
弦巻マキ
「『いちおう』は余計だよゆかりん!」
*ゆかりは語り始めた*
結月ゆかり
「人には必ず、欲求というものが備わっています。食事の欲求、睡眠の欲求、繁殖の欲求、そしてそれだけではありません。
自分の能力を発揮したいという欲求。
他人から認められたいという欲求。
集団の中に帰属したいという欲求--
そのほか、数え上げたらきりがありません。
欲望に体を壊すほど溺れるというのも問題ですが、逆に、自分の欲求を無視し抑圧し続けるというのも、実はそれとして問題があるんですよ。
この宇宙の細大漏らさずすべての事象に創造主の配慮が行き届いている以上、欲求というものもそれなりの……いえ、非常に重要な存在意義があるんです。
それはひとえに、人の魂を今までしたことのない経験の中に曝させ、その成長を促すことです。
欲求というものがあればこそ、それを叶えようとして、人はすごい勢いで先に進むことができます。
たとえば、食料を得たいと思うからこそ、人は必死になって働けるはずです。
異性の歓心を買いたいと思うからこそ、意中の相手にどんな奉仕もできるようになるはずです。
自分の力を発揮したいと願うからこそ、どこまでも自分を高められるはずです。
欲求があるからこそ、その人生で与えられた経験に、人は全力でぶつかることができるんです。
もし欲求がなかったら……いかがでしょう。誰も、苦労や苦痛を味わってまで、人生に取り組もうとはしないでしょう。
欲求があるからこそ百年単位で済んでいるこの現世での一生が、欲求がなかったら、同じ体験をするのに何万年かかるかわかりません。
欲求を抑圧するという事は、そのせっかくの成長促進剤を放棄するという事になるんですよ。
欲求に正面から向き合い、叶えようとすべきです。そしてその体験を理解し、受け入れ、そこから意味のあるものを抽出すべきです。
この人間界に生まれる目的は、愛する方法を学ぶことです。一見関係ない体験からでも、後からじっくり振り返ってみれば、ある方向に導かれていたことが分かるはずです。
一見あさましい欲求に見えても、しかしその体験から、愛を導き出すことができるはずです。
もし欲求を見ないふりして無視したとしましょう。それを果たすには、また別の人生でわざわざやり直さなくてはいけないかもしれません。そんな事は面倒でしょう?
でしたら、特殊な事情がある場合を除いて、その欲求を叶えようとするべきです」
弦巻マキ
「ん? 特殊な事情ってなに?」
結月ゆかり
「例えば、その欲求を満たすことで、宇宙の法則に反する形で他人を害してしまうような場合です。
……世の中には、人によっては、異常なまでに歪んだ欲求というものも存在します。
そうした欲求を持つ方は、現実でそれを満たすのではなく、想像の中だけで我慢するしかないことになるでしょう。その方には、それが一種の試練なのだと思います。
とはいえ、マキさんには関係ない話ですね。
別に、女性が牛丼屋さんに入ったところで、だれを害するでもないんですからね」
弦巻マキ
「そ、そうなんだ……。うん、分かったよゆかりん! ちょっと恥ずかしいけど、私牛丼屋さん入ってみるよ!」
*一時間後*
弦巻マキ
「ふぁぁぁぁっ、美味しかった〜〜〜! やっぱり、もう一杯食べよ〜っと!」
結月ゆかり
「いえ、このくらいにしておきましょうマキさん。出ますよ」
弦巻マキ
「えー!? なんで! 欲求は叶える物って言ってたじゃん!」
結月ゆかり
「だからと言って、限度を知らないのは問題ですよ。
このままでは、マキさんが豚になってしまいます」
弦巻マキ
「うっ……!」
結月ゆかり
「欲求に耽りすぎるのも、それはそれで問題なんです。
欲求にはもう一つの機能があります。
それは、欲求が限度を超えないよう注意することを通じて、人の理性の発達を促すということです。
度を越して欲求に溺れたら、身が破滅してしまいますよ」
弦巻マキ
「う〜〜っ、分かったよ……。でもゆかりん、その『限度』って、どうやったら分かるのかなぁ? つい食べすぎちゃったりとか、よくあるよね」
結月ゆかり
「欲求の限度は、体や心が教えてくれるはずですよ。食べ過ぎれば胃が痛くなってきますし、遊びすぎればだんだん飽きてきます。肉体や、心が出しているサインに敏感になってください。もうやりたくないと感じたら、そこでいったん休んだらいいと思います」
弦巻マキ
「なるほどね……じゃ、食べ過ぎない程度に毎日通お〜っと。ふふふっ、これから楽しみだなぁ♡」