パーペチュアル・パス Perpetual Path

ボイスロイド・東方キャラクターたちが人生・宇宙・霊魂について語ります。Several characters of the Voiceroid and the Touhou Project discuss human life, the universe, and spirit.

科学とは?

科学とは?

 

 

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弦巻マキ
「ねー聞いて聞いてゆかりーん。最近シュ○インズ○ートってゲームやってたんだけどさー、

そしたらなんか私、科学に興味出てきたよー!」

 

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結月ゆかり
「え!? マキさんが、科学……?!」

 

 

 

 

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弦巻マキ
「そんなに驚かないでよ……」

 

 

 

 

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弦巻マキ
「でも、そういやさー。私思ったんだけど、ゆかりんが最近話してるこのブログの記事って、

科学じゃオカルト扱いされるような話が多いよねー?」

 

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結月ゆかり
「ええ、そうですね。……では、今日は、いい機会ですから科学について考えてみましょうか」

 

 

 

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結月ゆかり
「マキさんは、科学とはどんなものかご存知ですか」

 

 

 

 

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弦巻マキ
「え!? えーとねぇ〜っ………………なんか頭良さそうなやつ!

……あっ、ゆかりん何その顔は! いま、『こいつ頭悪そうwwwwwww』とか思ったでしょ!」

 

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結月ゆかり
「べつにそこまでは思ってませんよ……。

ざっくり言うと、科学とは、自然界でどのように現象が起きるのか調べる営み、という感じでしょうか。私が最近、よくお話しているような事は、『オカルト』と呼ばれて科学から除外されていますが

……しかし魂、転生、霊界、創造主といった類の事……これらだって、自然現象ではないのでしょうか? むしろ霊魂と霊界こそが、宇宙の本質のはずです。

物質で満ちた宇宙というのは、一種の幻覚に過ぎないものです。なら、むしろ霊こそが自然現象の本丸のはずです。なぜそれが、科学の世界から爪弾きにされてしまってるのでしょう?

 身の回りにだって、霊による自然現象はそれなりに多いはずですよね。卑近な例で言えば、心霊スポットに行ったらいくらでも……それが科学の検討の対象になっても、何もおかしくない気もします」

 

 

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弦巻マキ
「え? うーん……なんでなんだろうね。

やっぱりさ、そっち方面はいかがわしい詐欺師っぽい人が多いからさー。あまり世間の人には信用されてないんじゃない?」

 

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結月ゆかり
「そうですね。ではなぜ、詐欺師っぽい人が多いのでしょうか? ……それは、霊というものがほとんどの人の目には見えないからです。

一部には見える人がいますけど、他は誰も見えないので、他の人から正しいか正しくないかの検証がとてもしづらいのです。ですから、霊媒を騙る人も多いんでしょう。

オカルトは、科学が満足するような証拠を出すことが難しいのです。誰もが理解しうる、という科学の普遍性に真っ向から反するものですから……

しかし、だからといって、霊の存在を否定し、科学で実証されたことのみを真実と見るのは、非常に危険な態度でもあるんですよ」

 

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弦巻マキ
「ん、どーして?

 証拠を見つけるのは、悪いことじゃないでしょ?」

 

 

 

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結月ゆかり
「もちろんです。が、人間には、その『証拠を見つける』能力がほとんどありません。なぜなら、人間の知覚力はとても、とっても限定されたものだからです。

どんなにがんばっても、地面を這っている蟻と同じで、遠くの方はぜんぜん見えません。それに、人間の判断力というのも、可哀相なくらい限定されたものにすぎないのです。

『人間は万物の霊長』だなんて言う向きもありますけど、とんでもないことです。人間はまだまだ、何もかも不完全な赤ん坊です。

その人間が、自分の見える範囲、自分の理解できる範囲しか信じない、それ以外はすべて嘘っぱちなどと考えたらどうなってしまうと思いますか? この宇宙は、とても窮屈で、不完全で、不公平な世界で、人間は銀河系の辺境にいる見捨てられた孤独な存在、ということになってしまうでしょうね。

事実、そう考えている方がたくさんいます。でも、それは事実ではないのです。本当は、人間の心が窮屈で、不完全で、不公平なだけなのです……

ところで、話題をすこし変えますが。科学というのは、物事がどのように動くのか――Howを知るための学問であって、なぜ――Whyを探求する学問ではない、とよく言われていますよね。

ご存知ですか」

 

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弦巻マキ
「へ?」

 

 

 

 

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結月ゆかり
「……まぁ、わからなければ、後でウィキペディアでも見ておいてくださいね。

つまり、科学は、この世のさまざまな現象が起きる理由というものを、一切説明することができないんですよ」

 

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弦巻マキ「えーーーーそうなの!?」

 

 

 

 

 

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結月ゆかり
「そうです。ただできるのは、どういう過程で、どういう順序で現象が起こるのか、それを解き明かすことだけです。ですから、科学の定義を、そういう定義にしているだけのことです。

この宇宙は霊が本質ですのに、物質しか見ることのできない人間が判断すれば、理由が全くわからないというのも無理はありません。

でも霊の意味を知っている方であれば、この宇宙の全ての現象の理由を、簡単に説明することができるんですよ。この宇宙は、創造主が創造主自身を知るための体験フィールドです。

宇宙の全ての現象は、創造主を創造主に再び成長させるための触媒、体験の素材として生じています。

……私は、立派な動機で科学を推し進める方を尊敬します。ですが、今の時代の人々は、科学のみに重きを置き過ぎなのです。

ほんらい、まだまだ未熟な人間の知覚力と理性では、分かりえないこともあると知るべきでしょう。そして、目に見えない世界、理解できない世界のことは、実証できないのですから信じるしかありません。

古代から人々がやってきたように、信仰心というものを持つしかないのです。もちろん、特定の宗教に入れと言っているのではありません。

人間としての身の程を知り、謙虚になるべき場面があるということです」

 

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弦巻マキ
「うーん、なるほどね……ちょっと科学で頭がいっぱいになってたよ……。

シュ○ゲが面白すぎてさー。あーぁ、みんなが霊とか魂が目に見えたら、なんにもめんどくさいことないのにね?」

 

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結月ゆかり
「そうですね。でも仕方ないことです。面倒くさいことがなければ、成長もないんですから。それにマキさん、霊や魂を見ることができず、物質しか信じることができない――

と、いう人間のあり方は、少なくとも人間が人間としての経験を行う初期〜中期段階くらいまでは、そうなるように仕組まれたことなんですよ。なぜか、分かりますか?

答えは簡単です。先程申し上げたとおりです。この宇宙は、創造主が創造主に戻る過程を体験し、自分自身の無限の可能性を一つでも多く知るための世界です。

では、この宇宙の本質である霊魂の存在を、みんながはじめから見ることができ、当たり前のように知っていたとしたらどうなるでしょうか?

はじめから知っているのだとすれば、そこから『成長』する余地もまたない、ということになりませんか? 道を踏み外す可能性が常にあり、現に何度も踏み外し、しかしその末に、自分の意思で宇宙の本質を学び、確信に至る……

そういう過程がなければ、つまり脇道がなければ、『成長』とは言えません。だからこそ、人間は霊を無視して物質に向かいがちな傾向を、はじめからその身にやどしているのです。

……それとですね。よく、テレビの心霊番組とかで、科学のみを重視する方がおっしゃってますよね。『霊が実在するという、論理的な証拠を出せ!』って。

しかし、証拠なんてものは、絶対に出てきません。もし論理的な証拠があるとしたら、それはどういうことでしょう? もし証拠があったら、すべての人が、霊の実在を信じなくてはならなくなります。

まだ信じたくない人も、その意思に反して、強制的に信じなくてはいけなくなるのです。創造主は、そういった形で知識を得ることを成長とは考えません

人間には自由意思があるんです。それを使って、自分の意思で正しい道を選びとらなければならないのです。もちろん、その途中でいっぱい間違いを犯しながら……です。

『証拠』という形で強制的に信じさせるようなことをすれば、宇宙の法則に反することになります。ですから、証拠なんてありえません。

何を信じようとその方の自由というわけです。ただし、その自由な選択によって生じた結果は、その人自身が受け止めることになります。

……もちろん、こんなふうになっているのも、創造主の意思なんですよ。考えてみてください。人間は、よく物を掴める手を持っています。ですからこの世に人間が生じた当初は、霊とか魂とか、目に見えない『よく分からないモノ』を探索するなんて、そんなにしません。

理解もできないでしょうし。それよりかは、物質界でいろんな道具を生み出して、それに夢中になるという発展パターンをとりがちなんです。そっちのほうが、最初は楽しそうに見えますからね。

私たちの科学もその延長線上にあるものでしょう。それ自体は批難すべきことではないです。ないですが、物質というものは、どうあがいてもいずれ崩壊してしまいます……

物質界に何も頼りになるものがないと悟った時、人は目に見えない世界の豊かさを、はじめて探索するようになるのでしょうね。

……すいません、ずいぶんとお話がそれてしまいました。別に、私は科学が嫌いではありません。私だってその恩恵を受けているんですから。

使い方を間違えなければという注釈付きですが、科学が立派な営みになれることは間違いありません。ですが科学のみを万能とみなして、霊の豊かさを自分から無視する方がいたとしたら、その責任はその方自身が負わなければならなくなります。

ですから、狂信的になることはやめたほうがいいでしょう。そして、科学の成果を、より善いことのために使うよう心がければ、私は、それでいいと思います」

 

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弦巻マキ
「なぁんだ。結局は、そういうあたりまえの結論なわけね?

 わかりやす〜い、あはははっ」